字は奇麗な方がいい、汚くてもいい?
皆さんこんにちは、個別学習のセルモ 練馬関町教室の芝田です。
生徒さんを見ていると字がとてもきれいなお子さん、なかなか大変なお子さんとおられます。
字は奇麗な方がいいのでしょうか、汚くてもいいのでしょうか。
今回はこのあたりを考えてみたいと思います。
字がきれいな方がいい、汚くてもいい?諸説あるようです
最初このテーマを考えていた時、「字が奇麗な方がいい」という意見の方が多いと予想していましたが、そうでもなかったですね。それぞれを簡単に紹介したいと思います。
字が奇麗な方がいいという場合
字が奇麗な人というのは、
✔お手本のとおりに書くことができる、
✔全体のバランスを考えながら書くことができる、
✔プレゼン的なものを考えるのが上手、
✔物事にしっかり取り組むことができる
✔周囲から高い評価が得られる
こんな感じの意見があるようです。
字は汚くてもいいという場合
字が汚い場合は、上記の「字が奇麗な場合」の裏返しの部分がデメリットになるのですが、その一方でこんな意見もあるようです。
✔本当に頭のいい層は実は字が汚いことが多い、字が奇麗な人は2番手グループにとどまるケースが多い
✔字が汚いのは、体裁を考えるよりも何を思うか=what の方に力が注がれて、そのアイデアに字が追いついていかないから、体裁に注がれるエネルギーがはるかに低いから
✔海外の大学では字の奇麗さは評価の対象にはならない、中身が大事
自分のノートを見返す時にイヤにならないくらいにはなろう
ということで、字が汚いにもそれなりの理由がある?という感じでした。
ただ、字が汚くてもいいという場合の例が、「現代文や小論文の指導などをして感じること」ということで、対象としている人のイメージは高校生以上なのかな、とも感じました。
小学生や中学生の場合はどう考えればいいでしょうか?
塾としては「ノートを後で見返す時に、自分でもイヤにならないくらいにはなろう」というのがオススメです。
学力の基礎をつけていく段階にあるのが小学生や中学生で、当塾でも自分用の復習ノートを作ることを推奨しています。その際に、字があんまり汚いと自分でも後でノートを見返すのがイヤになってしまうだろうな、というのが率直に思ってしまうところです。
なので、自分の字を後で見返すのがイヤにならないくらいに書けてくれればいいなと思っております。自分で作ったノートは好き、というお子さんになってもらいたいです。